当団体について

音楽で世界に光を
あなたに輝きを
これまでの歩み
グランドピアノとの出会い、音楽サロン活動の始まり
2008年、バンコクの国際交流基金が使用してい
たグランドピアノを譲り受ける機会を得た。すでにピアノは所有しており、定期預金に手を付けることに気が進まずあきらめかけたが、決して裕福ではない母がなぜか進んで半額を用立ててくれ、立派なピアノを手に入れることができた。「このピアノで人のためになることがしたい」と思った。
2011 年、東日本大震災があった。クロントイ地区のスラムの住民が日本の被災地のために寄付する様子がテレビで放送された。募金箱に入れられる紙幣を見て心に残るモノがあった。
数年後、バンコクに呼び寄せていた母が白血病におかされた。1年数カ月の闘病後、延命治療を中止した。亡くなる1カ月前、母が支援してくれたグランドピアノを使い、自宅でお別れコンサートを開いた。母のために40 人以上が集まってくれた。
「人のためになる場所」であるイベントスペース「サロン・オ・デュ・タン」の構想が固まった。

~活動の種が
芽吹くとき~

~広がる音楽の輪~
日本人コミュニティと支援活動への発展
バンコクの自宅に開設した「サロン・オ・デュ・タン」は厳しい自転車操業だった。しかしながら、自宅サロンは日本人コミュニティが集う場となり、チャリティーイベントや支援コンサートの実施、さらにタイの施設への楽器寄贈など、活動の場を広げた。
さまざまなご縁が新たな出会いを呼び、イマヌエルオーケストラとの交流も始まった。この出会いがきっかけとなり、活動はさらに広がりを見せていった。
イベントが増え、なんとか採算が取れるようになっていた2020年、世界中を襲ったCOVID-19。3月下旬には、世界中の航路が絶たれた。私のサロンは、固定費だけが消えていくという状態で、いつ潰れてもおかしくない状況に陥っていた。
2020年2月頃、想像もしていなかったできごとがあった。私に50万バーツ(当時約200万円)を寄付してくださった方がいた。もし、この方のご支援がなかったら、どうなっていたか…
コロナ禍で進めた財団法人と国際交流事業の準備
存続の危機を乗り越えた2021年6月、タイ政府から財団法人としての認可が降りた。法人化の準備を始めた2016年から、5年がかりで叶った夢だった。
喜びも束の間、その年、より厳しい非常事態宣言発令された。生活用品以外の営業は禁止。デパートは食料品売り場のみの営業、レストランも閉まりデリバリーのみ。街は静かになり、夜はゴーストタウン化した。
5名以上の集会禁止令も発令され、私たちの活動は、2度目の存続の危機を迎えた。

~新たなステージ
国際交流への挑戦~
